NHKの大河ドラマ「新選組!」が放送されたのは
今から20年前のこと (2004年放送) 。
その後も新選組をテーマにした
ゲームやアニメ、映画は数え切れず、
新選組人気はとどまるところを知りません。
この春には大人気映画に
新選組隊士・土方歳三が登場するようですし、
新選組がテーマの新しいテレビドラマが
スタートするとの情報もあります。
そこで!!
ネット上から簡単に受験できる
「土方歳三・箱館戦争検定」を作ってみました。
ぜひお気軽にお楽しみください!!
2024年春 新選組検定実行委員会
江戸時代、鎖国をしていた日本。そんな中、嘉永6年(1853年)に黒船が浦賀に来航する。
日本は米国の圧力に屈し、翌年に日米和親条約を、安政5年(1858年)には日米修好通商条約を締結することに。外国との貿易がはじまったことで物価高を招くなどしたため、人々の間で「攘夷」(外国人を武力で追い払おうとする運動)の考えが広まった。さらにこの条約締結は孝明天皇の許可を得ていないため、幕府への批判が「尊王」思想にもつながる。この「尊王」と「攘夷」が結びつき、尊王攘夷運動がおこった。
その後は井伊直弼による安政の大獄などで、尊王攘夷運動はさらに過激に。薩摩藩・長州藩などの雄藩は、次第に「倒幕」の立場を鮮明にしていく。そして遂に慶応4年(1868年)1月、薩長を中心とする「新政府軍」と「旧幕府軍」との間で全面戦争に発展(鳥羽・伏見の戦い)。これが長く続く戊辰戦争のはじまりだ。
この戦いは翌年の5月まで続き、最終決戦の地が箱館だった。土方歳三は最後まで旧幕府軍の一員として戦ったが、この箱館の地で命を落とした。
武蔵国多摩郡石田村出身。
農民の子として生まれた土方歳三。若い頃は江戸へ奉公に出され、その後は家伝薬である石田散薬の行商をしながら剣術を学んだとされている。天然理心流3代目宗主・近藤周助の門人となったことをきっかけに、近藤勇と出会う。文久3年に浪士組の一員として近藤勇や沖田総司らとともに上京。「壬生浪士組※」を結成し、土方は副長に就任する。
※「壬生浪士組」は後に「新選組」に改称
新選組は会津藩配下の組織であった。新選組の表の顔は近藤勇、裏方としてサポートするのが土方歳三。そのような役割分担で新選組を支えた二人。土方は「鬼の副長」とも呼ばれ、隊の規律を重んじ、新選組を統率したようだ。その土方歳三の佩刀・和泉守兼定は、会津藩主・松平容保から土方に下賜されたものとされている。新選組の主な任務は、当時治安が乱れていた「京」の町の市中警備で、京では恐れられた存在だったが、土方の運命が大きく変化したのが慶応4年(1868年)1月に勃発した「鳥羽・伏見の戦い」だ。薩長を中心とした「新政府軍」と土方ら「旧幕府軍」との戦いである。
伏見ではじまった戦争だったが、新政府軍が有利に戦いを進め、最終的に土方は蝦夷地(北海道)に辿り着く。その年の10月、1868年のことだ。箱館(函館)まで逃れてきた旧幕府軍は、"国家" に似た「蝦夷共和国」とも呼ばれる組織を作り上げる。総裁は榎本武揚、土方は陸軍奉行並に選出される。冬の間は新政府軍は北海道まで攻め込んでこなかったものの、雪が溶けた翌年の4月に遂に新政府軍が北海道に上陸。江戸からも京からも遠く離れた箱館の地で、旧幕府軍と新政府軍が戦いに突入。土方は善戦するものの、最後は新政府軍の銃弾に倒れることに。享年35歳。